昨日は、4月末の本番(伴奏)の
リハーサルをしてきました。

アマチュアだけど、ドイツ語に長け、
海外のアカデミーにも積極的に参加され
素晴らしい歌を歌うWさん。

今回取り組む曲は
ブラームスの「4つの厳粛な歌」
https://www.youtube.com/watch?v=knHeiIjzvYU

その中の終曲はこんなことを歌っています。
(新約聖書より)

「たとえ私が人間の、また天使の言葉で語ろうとも
そこに愛がなければ
それは鳴り響く銅鑼と
または鳴り響く鈴と同じものだ」

Wさんは海外の先生にレッスンを受けた時に
こんなことを言われたそうです。

「この歌詞の中の
『そこに愛がなければ』の愛っていうのはね。
Liebe(愛)のことじゃないんだよ。」

Liebeは愛とか、恋人という意味ですが、
Liebeと書いてあるのにそうじゃない!?

「これはね、神の愛、宇宙の愛、
私たちが思っているよりももっともっと
奥にある、大切なものなんだ。」

、、、そうなんです!ここでいう
「愛」って、好きとか嫌いとか
親子愛、師弟愛、恋愛。。。
の「愛」ではなく、

すべての人が宇宙に愛されている
愛される存在であるということ

何かをしても、何もしなくても
愛を受けているということ

究極の愛。

を示唆しているのだと思います。

いやはや、私の語彙と表現力では
うまく伝えることができませんが。

実は、年末から小さい本番はありましたが、
これからはメインの演奏会が
いくつか控えているのもあり
4ヶ月ぶりくらいで、
ピアノを本気で弾いています。
(サボるの大好き大得意、イェイ!)

そこで、ライフコーチを始めてから
ピアノへ向かうときの気持ちが
以前と全く違うことに気づきました。

一つには、楽しい〜!!
音楽的な発見も半端ない!

もちろんこれまでも楽しかったのですが
それでもどこかで

「うまく弾かなきゃならない。」
「この作曲家はこんな風に音楽作らなきゃ」
「この表現をするにはこのテクニックが必要だ」
みたいな考えにずっと捉われていたのですね。
そりゃ上手い方がいいけれども
その「ピアノが上手い」の指標も
私だけの観念だったのです。
 
ちょっとくらいのミスがあっても
聴く人が感動を覚えたり、何かを思い出したり
良い気分になってくれたらそれでいいですよね。
(と、散々思っていたのですがここへ来て
 やっと腑に落ちました。笑)
ありのままの自分で良い
ことに気づくと、もちろん自分を
とっても好きになり、それだけではなくて
こんなに色々な角度から音楽を感じることが
できるんですね。
もう一つは、
今回のように歌曲の伴奏のお仕事を
いただいて、気づいたこと。
歌詞の解釈が深くて半端ない!
特にドイツ歌曲、特にブラームス
実は嫌い!だったのですけど。。。

新約聖書すごい!
その中でも
この「4つの厳粛な歌」
を歌にしたブラームスは
ものすごい真実にに気づいていた。
ライフコーチになった自分も
その真実に近づいている気がします。
なので、歌詞の奥に流れているもの、
「ここは〇〇を比喩しているのよ〜」
の更に奥にあるものを、
音楽から感じ取れている感覚があります。

ライフコーチングを始めるにあたり、
今までのピアノのキャリアを
捨てはしないけれども
なんだか諦めたような感覚
勿体なかったかな?と思う気持ち
実はすこーしだけ、ありました。

でも、学んだことがこんな風に
追い風になって、音楽の仕事に
戻って来てくれたのですね(^ω^)

ただいま体験セッションの募集をしています。
限定5名様です。

 

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