娘とよくお菓子の取り合いしてます。
結構本気で(^_^;)
少し前まで、
「チョコレートは黒くてからいからいだから
あーちゃん(←娘)は、食べられないね~」
「あーちゃんがスヤスヤねむる頃に、
ムシバキンマンも来るしね~。」
と言いながら母だけ
チョコレートを食べたりしていましたが、
最近は。。。
娘が
「あ~、お母ちゃん、チョコレートは
からいからいだから、たべれないんだねぇ~。」
と言って
独り占めします!!!
やられた!
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人のものが欲しくなったり(お菓子じゃなくね)
人の真似をしたくなったりすること
あると思います。
それを持っている相手を羨ましく思ったり。
「あ~それなら、自分の方ができるのに!」
「私だってできるのに。。。」
先輩や先生の演奏が素敵で
「羨ましい。」
「自分もあんな風になりたい」
という思いで、同じ曲を選曲したり
ピアノをとにかく頑張って練習すれば
もちろん上達もしたし、
賞もとったし!
・・・でも今度、
後輩が入賞した、と聞いたり、
自分より年下の演奏家さんと共演、
なんて時に、
「追いつかれる~!」
と内心でドキドキ焦って
後輩から憧れられる先輩でいなきゃ、
そういうピアニストでい続けなきゃと
もっと頑張ったり
していたものです。。。
だけど、
追いつかれたら困る!のは
「追いついてきた」人だけ。
真似されたら困る~!のは
「真似する」人だけ。
羨ましがられて
それを受け入れられないのは
「羨ましかった」人。
なのですよね(^_^;)
自分の信念を貫いて何かをしている人は
追いつくとか、
真似するとかっていうのとは
違うレールの上を進んでいるのです。
人の真似をして成功しても、
後からそれを真似されたり、
その部分に憧れを持たれた時に
残念、本当の喜びや充実感は感じられない。
さて。
羨ましい時には
それは自分も、同じ才能を持っているから
魂が反応するのです。
(才能とは、自分の魂の喜びだったり、
自分の使命だったり。)
お相手は自分よりも少しだけ、
その才能を表現している。
それだけなのですけど。
その「才能」が人生で発揮されるか、
イマイチ表現されずに燻っているか
その差はなんでしょう。
こんな質問に答えてみてみてくださいね↓
①まず、羨ましい~と思う
才能の「種」が自分にあることに
気づいていますか?
②「世界にひとつだけの花」という
歌が大ヒットしたように、
(↑SMAP。古い。。。)
同じ種類の花の種でも
個体が違えば全部、違うのです。
あなたはどこに、どんな花を咲かせますか?
*ちょっと羨ましい
お隣さんの種と全く同じところには
芽を出せません!
③そして自分の種にどれだけ
水をあげていますか?
自分の種を育てていますか?
自分の才能の種に気づかずに、
種がどこに埋められているのかも
知らずに、
がむしゃらに世界中に雨を降らそうとするのと、
大切な自分の花壇に
水をあげつつ、発芽を信じる。
どちらが簡単?
そして
結果はまったく違う。
自分にその才能の種があることを
「受け入れて」
自分を模索した、その深さが
才能を発揮できるかどうかの
差になるのだと思います。
まずは自分に意識を戻して。
自分の種を見つけて育てること。