娘とよくお菓子の取り合いしてます。

結構本気で(^_^;)

少し前まで、

「チョコレートは黒くてからいからいだから

あーちゃん(←娘)は、食べられないね~」

「あーちゃんがスヤスヤねむる頃に、

ムシバキンマンも来るしね~。」

と言いながら母だけ

チョコレートを食べたりしていましたが、

最近は。。。

娘が

「あ~、お母ちゃん、チョコレートは

からいからいだから、たべれないんだねぇ~。」

と言って

独り占めします!!!


やられた!



************

人のものが欲しくなったり(お菓子じゃなくね)

人の真似をしたくなったりすること

あると思います。


それを持っている相手を羨ましく思ったり。

「あ~それなら、自分の方ができるのに!」

「私だってできるのに。。。」


先輩や先生の演奏が素敵で

「羨ましい。」

「自分もあんな風になりたい」

という思いで、同じ曲を選曲したり

ピアノをとにかく頑張って練習すれば

もちろん上達もしたし、

賞もとったし!



・・・でも今度、

後輩が入賞した、と聞いたり、

自分より年下の演奏家さんと共演、

なんて時に、

「追いつかれる~!」

と内心でドキドキ焦って


後輩から憧れられる先輩でいなきゃ、

そういうピアニストでい続けなきゃと

もっと頑張ったり

していたものです。。。



だけど、

追いつかれたら困る!のは

「追いついてきた」人だけ。


真似されたら困る~!のは

「真似する」人だけ。


羨ましがられて

それを受け入れられないのは

「羨ましかった」人。


なのですよね(^_^;)




自分の信念を貫いて何かをしている人は

追いつくとか、

真似するとかっていうのとは

違うレールの上を進んでいるのです。



人の真似をして成功しても、

後からそれを真似されたり、

その部分に憧れを持たれた時に

残念、本当の喜びや充実感は感じられない。


さて。

羨ましい時には

それは自分も、同じ才能を持っているから

魂が反応するのです。

(才能とは、自分の魂の喜びだったり、

 自分の使命だったり。)


お相手は自分よりも少しだけ、

その才能を表現している。


それだけなのですけど。

その「才能」が人生で発揮されるか、

イマイチ表現されずに燻っているか

その差はなんでしょう。


こんな質問に答えてみてみてくださいね↓

①まず、羨ましい~と思う
才能の「種」が自分にあることに
気づいていますか?

②「世界にひとつだけの花」という
歌が大ヒットしたように、
(↑SMAP。古い。。。)

同じ種類の花の種でも
個体が違えば全部、違うのです。

あなたはどこに、どんな花を咲かせますか?


*ちょっと羨ましい
お隣さんの種と全く同じところには
芽を出せません!


そして自分の種にどれだけ
水をあげていますか?

自分の種を育てていますか?




自分の才能の種に気づかずに、

種がどこに埋められているのかも

知らずに、

がむしゃらに世界中に雨を降らそうとするのと、

大切な自分の花壇に

水をあげつつ、発芽を信じる。

どちらが簡単?


そして

結果はまったく違う。

自分にその才能の種があることを

「受け入れて」

自分を模索した、その深さが

才能を発揮できるかどうかの

差になるのだと思います。



まずは自分に意識を戻して。

自分の種を見つけて育てること。

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